読書感想文など

30代後半の忘備録です。

【10】夜明けのはざま

町田そのこ

 

楽しみにしていた町田そのこさんの本。

『52ヘルツのクジラたち』は衝撃的だった。

 

そして『夜明けのはざま』。

「死」「ジェンダー」「仕事」「生き方」「選択」…テーマとなりそうな言葉はたくさん浮かんでくるが、どれが一番ということではなさそうだ。

公式には「自分の情けなさに、歯噛みしたことのない人間なんて、いない。 死を見つめることで、“自分らしさ”と“生”への葛藤と希望を力強く描き出した」とある。

わたしには「死」が響いた。

 

ジェンダーの点では、男だから、女だからと言われない会社で男性と同じだけお給料をいただいているので、まだそんな風にいう風潮があるのかと自分の世界以外に目を向けられたように思う。

シングルマザーですし…。

 

「芥子の実」はいじめを謝罪した伊藤に腹を立て、須田の母と若き日の須田の姿を思って胸を痛め、須田の今に泣きそうになった。

 

一方で、「普通こんな会話はしないでしょ、、、」というご都合な描写ややり取りももちろんたくさんあった。

また、仕事をやり抜きたいから付き合っていた人との結婚を反故にするのもあまり想像がつかない。海外での活躍や今後訪れることのない仕事のチャンスなどならもう少しすんなりと理解できたかも。運命の仕事と運命の人の男女が分かり合えない描写には十分になっていたと思う。

それでも読み手の抱える仄暗い感情や思い出に寄り添い、力をくれる小説。

 

「大事なひとがどんな風に生きたいか、何をしあわせに感じるかなんて考えてなかった」

 

「でも、立ち上がれないひともいるよ。そのひとを喪う前の自分じゃなくなってしまうひとだっている。」

 

そんな考えもあるのか、と思えた言葉たち。

 

「ぼくたちはあまりにも、明日に任せすぎている」

これは、読み終えた今から胸に刻んで生きていきたい星の言葉。

【9】グロテスク(下)

桐野夏生

 

東電女性社員殺人事件をモチーフにしたフィクションの下巻。

美醜にこだわる語り手の「わたし」。彼女のこだわりは美醜だけでなく、経済的豊かさ、頭の良さ、そして普通の幸せへの執着があることが下巻にて明らかになる。

上巻で彼女に感じた違和感は下巻で解かれていく。

「いいえ、わたしは決して嫉妬しているわけではありません」

その言葉の後、はっきりと自分の劣等感を明らかにし、そういうものへの憧れに蓋をしてきたと述べられている。

そして、最後まで徹底的に救われない。

 

・成績

・性格

・経済的基盤

・容貌

 

Q女子高校のヒエラルキーの中でもがく和恵の姿に共感性羞恥を覚える。

誰かより劣らないように。

信じているものを手放さないように。

自分が何者なのか見失わないように。

 

そして、自分ではどうしようもできない男性社会の中での在り方。

男性という性に阻まれる努力ではどうしようもない領域。

かといって女性という自身の性を今更どう扱って良いかわからない自分自身。

少なくともわたしには覚えがあるから読んでいて苦しくなる一方、物語に優しく寄り添われている気がして、読み終わった後にはもやもやが昇華していくような気持ちをもった。

 

東電女性社員殺人事件について検索していると、

「エリートといっても沢山いる訳だから中には変なのもいるんだよ。」

という、某知○袋の中のコメントが目についた。

この人は男性かな。

女性はこの事件に自分を重ねる経験をもつのではないだろうか。

 

もはや、女性のコメントか、男性のコメントか、などとくくる時点で時代錯誤なのかもしれないが、敢えて書いた。

 

わたしもこの事件の被害者、そしてグロテスクの登場人物たちと同世代だ。

この話は、今の若い子の共感も生むと感じる。

中年になりかけ、閉経を目前に、自分とは何かと思うことがある。

わたしはわたしで、わたしの生き方が正しいのだと胸を張り、人が他人の人生を評価することがナンセンスだと心では信じている。

それでも人の評価を気にせずにはいられないのが正直なところだ。

【8】あなたが誰かを殺した

東野圭吾

 

今回も面白かった。

何より、タイトルが読みたくなるタイトル。

途中で多分犯人はこの人なんだろうなぁと思ってその通りではあったのだけれど、ラストは二転三転し、予想はついていても楽しめた。さらに、ラストの後にそのまたラストがあって、そこで満足度アップ。

しかし、前回同様、加賀恭一郎シリーズとして物足りない感じも。

次回作への布石的な凪の期間だといいなあと期待。

でも一気に読んでしまった。

素直に面白い。

 

 

【7】ツユクサナツコの一生

 

益田ミリ

 

益田ミリさんの漫画ってこんなに染みるものだったっけ。

漫画家ナツコの日常は、本当になんてことない日常。

だけど、ナツコが感じたことや、こうしたらよかったということを漫画にするとなんとも日常が尊いものに見えてきたり、些細なことだけど反省点が見えて来たりする。

 

『絶対に死ぬって分かってて生きてるのって 凄まじい』

 

なんて、考えたことなかった。

 

そしてまさかのラスト。唐突すぎてお父さんの気持ちを思うと悲しい。

そういうこともあるよね。

そう、そういうことがあるのが人生なんだよ。

思いもよらず、昨日まで元気だったまだ若い彼が、妊婦のわたしを残して突然植物状態になるなんて、思わなかったよ。

運が悪かったわけじゃなくて、

今生きていることが奇跡なんだなって思う。

明日わたしも死ぬかもしれない。

災害で

病気で

事故で

明日家族が死ぬかもしれない。

父も母ももう60代だ。

 

明日何が起こるかわからないと思うのに、生き生きとのびのびと生きている私たちって本当にすごいなって思った。

そういうことを考えさせてくれる本だった。

【5】異彩を、放て。

松田崇弥

松田文登

 

ヘラルボニーと出会ったのは2019年の池袋でのポップアップストア。

その頃、SDGsという言葉が広まり始めていて、

自分の仕事とも切り離せない分野でもあり、さまざまなSDGs関連のプロダクトを紹介するそのポップアップに別のブランド目的で訪れた。

そこで出会ったのは知的障害者の作品をハンカチにした商品。

価格は2500円+税。

それを見るまで、わたしは知的障害のアートは各福祉施設の作業製品止まりであるという認識で、ハンカチならせいぜい500円とか。まぁ、刺繍されているものなら1000円くらいで「高いな」というイメージのものだった。

でも、それは違う。

プリントされた綿のハンカチが百貨店で2500円。

わたしは思わず惹きつけられ、2枚購入した。

知的障害のある方の力が、こんなふうに価値のあるものとして認められていることが嬉しくて。

1枚は友達へ。もう1枚は自分用に購入した。

 

そのあと、ヘラルボニーのプロダクトは成田空港第3ターミナルを彩るようになった。

ジェットスターやピーチ、スプリングジャパンを利用する人々が「なんだこれ?」と興味をもつような圧倒的なアートとして飾られていた。

わたしはそのときすでにヘラルボニーを知っていたので、福祉分野がこのように風景をジャックしている様が嬉しくて、興奮した。

一緒に旅をした友達も、「これ、ヘラルボニーだね」と気付いてくれたことも嬉しかった。

 

あれからヘラルボニーは飛躍的に大きなブランドとなった。ディズニーやJALベルメゾンなどとのコラボもあり、展覧会も多数開かれ、SDGsという流れもあり、どんどん知られたものになってきているように思う。

 

そして、2023年夏、どうしても行きたかったマザリウムへわたしは出かけた。

洗練されたロビー、アートルームの世界観。

アートルームではベッド、チェア、ロールスクリーンまでもが八重樫道代さんの作品がデザインされている。

「かっこいい。」

障害者がかっこいい。

素直にそう感じた。

 

この本はそんなヘラルボニーの理念や歩みを知ることができる。知的障害者との関わりをもつ人はこの本に泣かされると思う。

そして、次の課題を考えることになると思う。

全ていっぺんには解決していかない。

きっと松田兄弟は次の課題に向けてプロダクトを考えておられることと思う。

そして、ヘラルボニーに感化された誰かが後に続くだろう。

まずは存在を知ってもらうことこそ大切だ。

わたしは、今はビジネスとは違う立場から障害者と関わり、その方々の人生に関わらせていただいているけれど、まだまだ十分に理解されていない分野だと思う。わたしの立場から問うとしたら、

軽度知的障害の方は何ができて何が難しいのか知ってる?

生活介護施設に通所する方々の生活の流れを知ってる?

車椅子の方の就職が難しいの知ってる?

障害者雇用にある職種ってどんなものか知ってる?

知的障害者が将来の夢を語るときの目の輝きを知ってる?

夢を諦めざるを得ない現実に気付いた時の涙を見たことがある?

障害者手帳が大きくて財布に入れられなくて、濡れるとぐちゃぐちゃになっちゃう不便さをどう思う?(これは最近アプリもある)

パッと思いつくだけでもこんな感じだ。

わたしはいろんな人に知って欲しい。綺麗事じゃどうにもならない現実もみんなで考えられたらいい。みんな得意分野があって、視点が違うからみんなで考えればたくさんのアイディアが生まれると思う。

社会に伝える手段や機会がなかなかもてない人たちの代わりに、考えられる人たちで考えていくことが理想的だと思う。

 

本当に新しい視点があって、めっちゃいい本。

わたしがことあるごとに押し付けがましく人に貸したり差し上げたりしてる本なので、ぜひ読んでみて欲しい。

【4】15歳の日本語上達法

金田一秀穂

 

この本は本当に好きな本。

簡単なのだけれど、だからこそ全て頭に叩き込んで自分の言葉に落とし込み、人に伝えたい内容。

また、金田一先生がこの本で伝える内容を実践して、仰ることを実感したいと思わせる内容。

想像するだけで豊かだ。

 

私たちの用いる「言葉」とりわけ「日本語」についてだが、内容としては「言葉で理解すること」とはどういう意味をもち、意義があるのか、またその力をどうつけるかだ。

 

ホモサピエンスは言葉を得たことで力を得てきたという。知識を言葉で後世に伝えられるため、知識を蓄えることができる。そして、その仮説は性善説のもとに成り立つという。

わたしたちは「言葉」で考え、「言葉」で感じているから、言葉を豊かにすることは自分の世界を豊かにすることにつながると思う。

 

一方で、言葉がないから豊かでは無いというわけではない。言葉があるから優れていると言うわけではない。この本もそんなことは書いていない。金田一先生は日本語学者だから、言葉が大事だと立場上言っているだけだ。

少し脱線するが、わたしはよく、障害などによって発語の無い方々が、どのように世界を認識しているのだろう?私たちであれば、空想したり「お腹すいた、、、アイス食べたい」などと考えていたりするような時間に、どんなふうに頭の中に物事が浮かんでいるのだろう?と思うことがある。言葉がない分、空気の清々しさやお日様の温かさなど、感覚的なものを受け止める力が高いかもしれないな、などとも思う。文学者ではないわたしのようなものが、わざわざそれを言葉にしてしまいがちだがそれは言葉に落とし込んだ時点でナンセンスな気までする。

 

同じものを見ていても、それをどう言葉で表現するかによって、そのものに対する考え方、感じ方がまるで違ってしまうということは言葉の怖い点であると思う。

もっている言語が違えばわかりあうことが難しくなり、同じ家族でも「そんなつもりで言ったわけではない」という分かり合えなさは誰でも経験していると思う。

言葉にしたってそうなのだから、何も言わずにわかりなあなんて言わずもがな無理だと思った。

無駄話を交わすことにより、人と人はつながることができるという。一見どうでもいいような話をしているのは、相手との関係を確かめ合い、もっと関係を強めていきたいからということだそうだ。議論しなくて良い人がいると言うのは幸せなことだし、無駄話をしない相手はそれだけ相手からしたら自分はどうでもいい存在だと言うことだろうか。そうかもしれない。

 

野口英世の母がアメリカから帰らない息子に宛てた手紙もあり、これは泣ける。

野口英世のバカ!と言いたくなる笑

帰ってあげて!お母さんに顔見せてあげて!!ってなる。

 

最後、「暗黙知」について。誰かにちゃんとおしえられたわけではないけれど、人の真似をしたり、自分でやっているうちに、いつの間にかできるようになった事柄をいう。

これを言葉で説明できるような努力をすることは、教育者や指導者に求められる力だと、わたしは思う。

例えば、体育の先生が運動が得意な子を伸ばすことは容易だろう。

体育の先生は、運動が苦手な子の力を伸ばさなければならないと思う。それは、

「パーッとやって、しゃーー!だっ!!簡単だからやってごらん!失敗してもいいから!挑戦だ!できるできる!」

だはだめで、

「足はこう。角度は30-42度。指の力はうずらの卵が潰れないくらいで、5秒待ったら10.7cm動かす」

みたいな説明ができる必要があると思う。わたしは体育が苦手で嫌いだったから本当に強くそう思う。どの教科でも同じだとは思うが。分野か。

 

金田一先生のこの本を読むと気持ちが引き締まるんだよなぁ。

児童書なので読みやすいので、ぜひ多くの方に🙏に取って読んでほしいと思う。

【3】黒い絵

原田マハ

 

とても好きな作家の1人、原田マハさんの短編集。

原田マハさんのこれまでの作品とは違う、ひたすら暗くどろっとした内容で、一つ目の物語からなかなかの性描写にびっくりした。

物語の2人の女の子が全く救われなくて、

多分そんなこと望んでなかったんじゃないかな…?いや、この狂気を孕む感じ、この行為を受け入れ喜ぶのかな?

とか、読み終わって「ん?これは…原田マハかい?」と首を捻る感じ。

文は美しく描写は原田マハなんだけれど…

 

わたしはオフィーリアもいいなと思った。

原田マハさんがアートを描くときの言葉選びが最高に好きだ。オフィーリアは、ミレーのオフィーリアから受け取る雰囲気そのままだった。(ハムレットがあるのだから当たり前なのかもしれないけれど)

 

しかしながら不倫の話が目立つ。

エンタメとしてはちょっと足りないし、後味も良くない。原田マハだと思って読むとびっくりする。今後、短編じゃなくて、長編でこういった暗い話を読んでみたいかも。

不倫中の人に寄り添える一冊かもしれない。